大人のバレエ上達倶楽部

基礎から変わる大人バレエコミュニティ

大人バレエのタイムリミット

こんにちは。

大人のバレエ上達サポーター、きよかです。

前回は表現力強化月間として

”視点を変える”というお話をしました。

今日も、その流れで

いつの間にか忘れてしまう

大人バレエの「タイムリミット」について

お話していきます。

これ一つ頭に入れておくだけで

踊りの質が格段に変化します。

 

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美の本質の〇〇

少し不謹慎だし、誤解を覚悟で言うと

私は父が亡くなって良かったと思っています。

大好きだからこそ、そういう結論になるのだと

共感して下さる方もいるかもしれません。

 

詳しく説明すると長くなるので

その一つをさらっとお話しすると、

父の死が良かったなと思う理由の一つに

幼い内に、人生は有限であって、

実は一人一人が有限会社の

社長みたいなものであることが

実感できたということがあります。

 

タイムリミットがあるからこそ、

自分の人生、主体的に生きられる。

というか、そう生きるべきなんだ。

と身近な死から理解しました。

 

 

普段、目に見えず、実体を持たない

「時間」について、

その価値の大きさを

忘れてしまいがちですが、 

時間の価値の元は、

働いたらもらえるお金みたいに

物理的に増やせない点です。

(健康に気をつけて生活するとかは出来ますが、

与えられたもの以上には生み出せません。)

そして問題点は、増やせないのに、

大抵は、もう無くなるギリギリまで

その価値の大きさに気づけない点です。

 

例えば、世界一の大富豪が、

明日死ぬとします。

もし仮に、全財産と引き換えに、

誰かからその人の人生の1年を、

譲り受けられるとしたら、

大富豪は全財産を投げうってでも

1年の延命を望むはずです。

(若者は時間の価値を

過小評価していることが多いので

若い人に頼むべきかなと思います。)

  

 

ロンドンの作家、G. K. チェスタトンが、

”何かを愛するには、

それを失う可能性を実感すればよい。”

という言葉を遺していますが、

日本人も ”もののあはれ” 

という伝統的な意識にあるように、

時間の価値やタイムリミットについては

本質まで、よく理解していました。

 

でも今の社会が盲目的に

生き急ぐ者を良しとするので、

結果的にそういう概念を

忘れることが増えたと思います。

 

別に忙しいのが悪いとか

のんびりが支持されるべき

とかではなくて、

タイムリミットの概念の

入る余地の無い現代社会って

大人バレエの芸術性を高めようと思ったら

少し難しい時代だなと思います。

それが芸術的な美の本質でもあるからです。

 

美しいシャンジュマン

タイムリミットって

嫌な響きに聞こえる時もありますが

それが世の中に無かったら

誰も何もしなくなりますよね。笑

 

根本的に、そういう世の中に

意味があるのか、

っていう疑問さえ出てきます。

 

 

大人バレエをしていたら

タイムリミットの壁にぶち当たることも

少なからずあるはずです。

だからと言って、生き急げ、とか、

逆に年をとったら踊るべきではない、

とか、そういうことではなくて、

急ぐ、急がない、

諦める、諦めないに囚われず、

ただ人生にはタイムリミットがあることを

頭の片隅に置いてレッスンに励んだら

より本質的な美に近い踊りになります。

 

 

バテバテになって、自分との戦い!

なことが多いシャンジュマンですが、

クラス中、生徒さん達に

テクニック的なことにプラスアルファで

タイムリミットについて少し話すと、

バテることも自分と戦うことも超えて

みんな自然と輝いてくるんです。

飛ぶというか、踏み締めてる感じなんですね。

良い意味でですよ。笑


こういう時、

生徒さん達を本質から輝かせられる

タイムリミットって

素晴らしいなと思います。

 

 

現代では、タイムリミットについて

どちらかというと悪い面の方に

焦点を当てられがちで、

確かに忘れて生きていると

突然焦る結末になるかもしれません。

 

でもタイムリミットの

「芸術性の可能性」という視点で見ると

大人バレエでタイムリミットを

上手く使っていかない手はないなと

いつも思います。